MY GAME LIFE

へっぽこゲーマーの日常

ゲームって生産性のない趣味?無駄?まだそんなこと言ってるんですか?

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友人や職場の人に趣味について聞かれることは誰にでもある。

何のためらいもなく自分の趣味を教える人がほとんどだろう。「カフェ巡り」や「スポーツ」、「映画鑑賞」や「読書」…。

自分の趣味を熱く語る人と話すのはいつも楽しいし、自分の知らない世界に触れることができたようで思わず嬉しくなる。

 

ところで「ゲーム」が趣味の人って素直に「自分の趣味はゲーム」と断言しているのだろうか。

 

僕の偏見かもしれないが、ちゃんと伝える人は少ないと思っている。僕の知り合いにもそこそこの数のゲームをプレイしている人が何人かいるのだけれど、最初からゲームが趣味だとは教えてくれなかった。ある程度互いのことを知り、「実は…」という流れが多かった。

正直にゲームが趣味だと言えない理由はわからなくもない。むしろゲーマーなら理解できるだろう。

じゃあなんで胸を張って堂々と「ゲームが好きだ」と言えないのか?

 

 

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僕はそこそこ多趣味な人間だと思っている。ゲーム以外にも好きなことはたくさんある。スポーツで汗を流したり、愛車でドライブしたり、友達と酒を飲んだり、女の子とデートしたり…(!)

 

でも趣味について尋ねられた時、僕は「ゲーム」も必ず挙げる。

なんせゲームが好きだから。

 

「ゲームが趣味」と答えると以外と男女問わず多くの人が関心を寄せてくる。「どんなゲームが好きなの?」、「詳しくないからオススメを教えてほしい」等々。なるほどゲームというのはここまで受け入れられるメディアになったのかと内心嬉しく思う。

それでも時たま、僕の趣味を聞いて苦虫を噛み潰したような顔をして、変な空気が流れる人が少なからず存在するのも確か。

その際、十中八九言われるのが「ゲームって何が面白いの?生産性がないじゃん。無駄じゃん」。

たぶんゲーマーなら避けては通れないワードだろう。直接ではないにしろ、何らかの形で耳にしたことがあるか、目にしたことがあるはず。

 

正直言うと、まだそこまでゲームに関心がなかった頃の僕もそう思っている側の人間だった。

ゲームは好きで良く遊んでいたけど「ゲームってどうなんだろう」と。

でもその偏見を変える経験が何度もあったんだ。

 

僕は航空自衛隊で勤務していたことがあった。米軍との合同演習などもあり、英語には身を入れて勉強していた。小学校の頃から英語は好きで、中学以降は校内の順位も上から数えたほうが早かった。だからある程度の英会話はできて、米軍との調整を任されることも多かった。英語を勉強していて良かったと思ったし、周りからの尊敬も鼻が高かった。

でも何かが足りないといつも思っていた。仕事上の関係だからそこまで親密になる必要性はないのだけれど、せっかくだから仲良くなりたかった。そもそも生まれた国が違うし、軍隊という組織は良くも悪くも自尊心が強いから…とあきらめ始めていた。

岩国基地の米海兵隊との訓練を終えた夜、宿舎のある部屋から騒ぎ声が聞こえてきた。不思議に思って覗いてみると、将校、下士官が入り乱れてテレビゲームをやっていた。それがFPSの名作『COD MW』だった。

 

 

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COD』シリーズは好きだったので暇な時によくプレイしていた。

僕もそこに混ぜてもらって遊んだ。消灯時間なんか関係なく騒いだ。

この時、ふと自分の幼少期を思い出した。だれかが新作のゲームを買ったらみんなでそいつの家に遊びに行った。みんなで交代しながらプレイした。そこにはクラスの人気者やおとなしい奴のカースト制は存在しなかった。みんなが平等にゲームを楽しんでいた。ゲームを通してコミュニケーションしていたと言ってもいい。

海兵隊員と一緒に遊んで、自分にとってゲームは「コミュニケーションツール」だったと思い出した。国や宗教、人種や文化の壁を越えて楽しめるゲーム。訳のわからんスラングを言われてもなんとなく理解できてしまうゲーム。

 

「ああ、ゲームってこういうものだったよな」

 

少なくともあんなに必死に勉強して手に入れたTOEICのスコアなんかよりもよっぽど使える「コミュニケーションツール」だと思った。

 

 

映画・文学・音楽

この3媒体は僕を形作っているメディアと言っても過言ではない。むしろほとんどの人に共感してもらえるはず。

2時間で濃密な物語を堪能できる映画。素晴らしい文章に心を震わせる文学。気持ちを落ち着かせ、時には高めてくれる音楽。どれも素晴らしい「体験」を与えてくれる媒体だ。これらと共に人類は歴史を刻んできたのだ。

 

じゃあゲームはどうだろう。

携帯ゲームやテレビゲーム、所謂コンピューターゲームに限って言えばその歴史は上記3媒体に比べれば歴史など無いに等しい。

人間は「歴史」という「ものさし」を重要視する生き物だ。それがモノだろうと国だろうと。「歴史」があるということはそれだけの「価値」があるということだからだ。

文学・音楽は長い歴史を持つ。それらには及ばないが映画もそれなりの歴史がある。だから価値があり支持され続けているし、これからも続いていくだろう。

 

その点ゲームは歴史が浅い。だから価値が無いと思う人も当然一定数存在する。

「ゲーム?そんなのより映画を観なさい。本を読みなさい。音楽を聴きなさい。」

上の言葉を否定する気はさらさら無い。媒体問わずに多くの作品に触れることは大事だ。僕自身映画は好きで1200本以上鑑賞してるし、本も暇があれば読んでいる。音楽は24時間(…?)聴いている。

でもゲームはなぜダメなの?

歴史が浅く価値が無いから?生産性が無いから?無駄だから?

 

僕は「ゲームは無駄」と言われると、まだそんなこと言ってるの?と本気で言い返す。

 

言い返さずにはいられない。その人のカチカチに固まった考えに対しての反論でもあるが、ゲーマーとしてのプライドの方が大きい。ゲームが好きで好きでたまらない一人のゲーマーとして。

最近のゲームの文化的、アート的価値の膨張には目を見張るものがある。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。事実、映画業界で働いていて感じたのは、ゲームの将来を見据えている人は少なくないということ。

ゲームには映画・文学・音楽を合わせた面白さがある。繊細なグラフィックの映像を観て、様々な文章を読み、シーンのために作曲された音楽を聴く。

昨今のゲームは良質で素晴らしい作品が溢れている。ゲームで涙を流すことも当たり前になってしまった。それだけ濃密な体験ができるのだ。決して忘れることのない体験が。

 

 

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アンドロイドが必死に「生きよう」ともがき苦しむ姿に涙したり、

 

 

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偶然出会った2人の実の父と娘以上の愛情を垣間見たり、

 

 

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親友のために時間を巻き戻ししたり、

 

 

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トレジャーハンターとしての小さな一歩を踏み出したり、

 

 

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そして蜘蛛男になったり。

 

 

映画や小説でも様々な人物や世界を「観る」ことができる。でもゲームはその人物になれるし、その世界に身を置くことができるのだ。

映画や本、音楽は人生を豊かにするとよく言われる。これには深く同意する。僕もそうして成長してきたから。

ならばゲームもそうだと思うんだ。ゲームも人生に彩りを添えてくれる媒体だと思っている。

ゲームにはゲームでしか味わえない貴重な体験が得られる。

だったらゲームも映画も文学も音楽も楽しめた方がより面白さの幅が広がってお得じゃない?

だから僕は「映画を観て、本を読んで、音楽を聴いて、そしてゲームで遊んで教養を深めろ」と言いたい。

 

 

 

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最近プレイして心を鷲掴みにされた作品『ニーアオートマタ』

 

 

これほどの素晴らしい体験が得られるのに批判されるのは正直悲しい。

僕はゲームをあまり知らない人にはその面白さをなるべく教えてあげたいと思っている。以外と相手も興味を持って聞いてくれることが多い。

でもゲームにアレルギーを持った人には無理に勧めたりは決してしない。

誰にだって嗜好というものがあるし、アレルギーで食べたくても食べられないものがあったりする。

アレルギーがある人には別の話題にシフトする。でも自分がゲームを好きだということははっきりと断言する。それは曲げない。

これでも自分はゲーマーと自負しているので。

 

このようなゲームに対する「風評被害」や「風潮」を変えるのは他の誰でもなく僕ら「ゲーマー」である。

「ゲーマーはキモい人種」って言われても別に気にとめることはない。キモい人種なのは否定する気は毛頭ない。

でも「ゲームは無駄」というのは「はい、そうですね」とは受け流してはいけない。

我々ゲーマーには少なからず思い入れのある作品があるはず。一喜一憂させられた作品があるはず。昼夜関係なくのめり込んだ作品があるはず。

そんな「宝物」を批判されて言い返さずにダンマリを決め込む人は「ゲーマー」ではない。

自分にとって本物の「宝物」なら、プライドや羞恥心なんかぶっ飛ばして相手に一言伝えて欲しい。

「それでもゲームが好きだと」

 

ゲームに対する自分の思いを熱く語るのは尊いことだが、それだけでは足りない。

人として、社会で共存している一人の人間としての最低限のことは守ろう。

目をみてハキハキと挨拶をするとか、身嗜みに気を使うなど。

最近の若いゲーマーは以外と自分の意見を伝えて、また人の意見を聴くことができる、所謂「コミュ力」は高いと思う。これがゲーマー?と思ってしまうほどオシャレな子も多い。それでも職場やイベントで見ていると、昔ながらのゲームオタクなイメージの人の方が多いと思う。

ゲームに対するネガティブなイメージを無くすためにはゲーマーひとり一人の小さな努力が必要なんだ。それは精神的にキツイ努力でも大金が必要になる努力では決してないんだ。

 

昨今のゲーム業界の盛り上がりは凄いとしか言い表せない。

海外ではすでに盛り上がりを見せているesports。日本では批判的な意見が多いし乗り越えなければいけない課題もまだまだ多い。それでもesportsが受け入れられるのは時間の問題だと思っている。そもそも日本とは新しいものが好きなミーハーが集まって作られた国みたいなものだし。

なにより観戦していて面白い。プレイヤーを見ていて、あそこまでゲームに熱くなれるのかと尊敬するし、見ているこちらも思わず熱くなってしまう。

ゲームの実況動画が受け入れられているのだからesportsもファンは増えていくだろう。

 

また、インディーズゲームもその勢いは止まらない。開発に莫大な費用と時間をかけたビッグタイトルにも負けないくらいの面白さや驚き、発見がある。新しい試みをしたいという製作陣の熱い想いを感じられる作品が増えている。

 

このゲーム業界の勢いを殺さずに応援するのは僕らゲーマーの役目だ。

だからこそ胸を張って宣言しよう。

「僕はゲームが好きだ」と。

 

 

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サマセット・モーム著「月と六ペンス」という小説がある。好きな小説で何度も読み返している。この本を読んでその度に思うことがある。

 

「己の地位・名誉・富を投げ打ってでも真剣に身を投じたいことはあるか」

 

僕らゲーマーには、ゲーマーなりの責務がある。

 

 

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